101系が設備面と主電動機の容量不足で効果的な増備が行えないことから国鉄本社運輸局は「通勤電車の問題点」を1960年2月まとめ次期通勤電車に対する要望として経済的で大量生産できることを挙げた。方向性としては全電動車方式による高性能車と回生ブレーキをセットにする方法と電動機の出力を上げてMT比を1:1にして運転の二通りの方法が考えられた。

回生ブレーキは勾配用として国鉄でも採用実績はあったものの停止用回生ブレーキは当時は民鉄を含めても一般的ではなく京阪電鉄が1650形の一部で搭載して営業運転を兼ねて試験走行を行い、その結果として同年9月から回生ブレーキ付きの2000形が営業運転を開始した。

また、小田急は主電動機を高めてMT比を1:1とした2400形がデビューし、これまでの全電動車からMT比1:1の高性能車へと変革を遂げていた。構想にあたって回生ブレーキは京阪の試験結果を待つことにしたが、国鉄でも1959年に試作車を投入している。

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